エアコンの風が苦手とか昔は言っていたんだが、猛暑のレベルが変わってしまって、そんな事も言ってられなくなってしまった。
時代か。
体幹を強くしたいという気持ちがある。
短いパイプの上に乗るなどする。
転びそうになると怖い。
答えの無いことを沢山考えると、人は優しくなれる、と良いなあ。
ちいかわの映画の2回目を観に行ったが、寝不足と、熱中症みたいな体調で、あまり集中できなかった。
入場者特典が変わったら、ちゃんと寝たあとにまた行こうかな。
キラキラカードは好き。
ウェアハースのおまけ。
SNSで人の悪意が可視化されるの未だに慣れない
うっすら足の裏にトゲが刺さっていて、ソワソワする
朝の4時なんだけど、涼しくて良い。
まだ7月なので、これから気温40度の日も出てくるんだろうけど、今夜は秋のようだ。
変な気候だね。
自分が呟いたせいか、Xのタイムラインで、ちいかわの映画を観た知らない人のポストが流れてくるようになった。
神話や伝承を絡めた隠されたオマージュを探したりとか、残酷な解釈を楽しむような話が多い。
個人的には、今回の映画は愛情の話だと思っていて、悲しみや遣る瀬なさのインクを心に落とし、心はより複雑な色になり、映画の悲しい後味は、自分にとっての大切な誰かに思いを馳せる余韻として心に残る、というか。
まるで幽遊白書の台詞であった「キャベツ畑やコウノトリを信じている可愛い女の子に〜」的な、残酷な拷問や死を楽しむような一部分的な考察が多くなってしまうと、映画が少し勿体ない気もした。
可愛いキャラクターのゆるふわ夏休みストーリー☆と思って見に来た人がショックを受けるのが面白い、というような揶揄も、コンテンツを応援する事に近いのだろうか。
どんな形でも注目をされないと意味がないというのも確かにそうだし。
インターネットで世界中の人と感想を共有できるからこそ、その中でも新解釈や考察は、発言者の価値を高めるような面もあるだろう。
イイネ数が説得力の担保のような顔をして、持論カードバトル的な。
目立つ発言や面白い発言が、真実のような顔で振る舞わなければ良い。
映画を見たことない人が、誰かの感想だけを情報として仕入れ、誰かの色眼鏡をかけたまま初めて映画を見た時、その人が本来得るはずだった感想の方向性は、少し限定されてしまうかもしれない。
そんなことを俺が心配する必要は、ない。
なんかモヤモヤして吐き出したくなったんだけど、まあ気にしなきゃいいじゃん、で終わる話だなこれは。
楽しみ方は自由。
俺は俺の心の自由のために、Xを少し控えれば良いだけ。
SNSが、思考の答え合わせをするような使い方になるのは良くないよな。
アルゴリズムで、似たような情報が連続して出るようになるけど、本当に心から思った事なのか、SNSの情報に影響を受けたのか、自分の心が心配になる気がしたよ。
ちいかわの映画を見たせいか、セブンイレブンのちいかわ一番くじが少し欲しくなってしまった。
ただ、オッサンがちいかわのくじをやるためだけにレジに並ぶのも恥ずかしく思え、カムフラージュで納豆を1つ手に持って並んだ。
ある種のスケベ根性なのだろうか。
そいつの賞味期限は今日までだった。
なんか少し損をした気分。
くじの内容は夏っぽい感じだったけど、映画とは関係のないものだった。
スイカを持ったウサギを貰って帰る
(やや、映画のネタバレあり。見てない人は注意)
昨日、映画の『ちいかわ』を見てきた。
原作の島編は漫画ですでに読んでいたので、ストーリーそのものは知っていた。
だから今回は、何が起こるのかを追うというよりも、知っている物語が映画になることで、どんなふうに見え方が変わるのかを楽しんでいたように思う。
まず印象に残ったのは、背景の美しさだった。
草原や空、水、島の緑。青と緑が多くて、ちいかわたちの暮らしている世界が、楽園とか天国のような場所に見えた。
もちろん、あの世界には天敵もいるし、いつ何が起きるか分からない。
でも、映画の始まりはとても穏やかで、広くて、明るくて、その世界に入っていくこと自体にワクワクした。
島に着いてからの景色もきれいだった。
出店が並び、昼から夜へと時間が移っていく。
祭りのような雰囲気が少しずつ強くなっていって、本当に楽しそうな場所に見えた。
余白のあるマンガの、心の中で書き足されていた余白の部分が、美しく色付いてそこにある。
背景としての絵ではなく、ストーリーを読んでいたからこそ、違和感がない。
物語の進み方はかなり早かった。
キャラクターの説明を細かく入れることもなく、すぐに船に乗り、島へ向かう。
すでに『ちいかわ』を知っている人に向けた作り方にも感じたけれど、登場人物の関係性はそれほど複雑ではないので、初めて見る人でも、この三人が主役なのだろうとは分かると思う。
上映時間は一時間半ほどだった。
映画としては短めかもしれないが、普段は一ページから数ページくらいの短い漫画として読んでいる作品なので、むしろ十分に長い。
短い話の鋭さやテンポを壊さず、一つの長編としてまとまっていた。
映画として何より良かったのは、原作に余計なものを足していなかったことだった。
監督が自分の解釈や作家性を前面に出して、原作とは違う作品にしてしまう映画もある。
でも今回は、原作の筋を変えるのではなく、もともと描かれていたものの輪郭や解像度を上げるために映像や時間が使われていたように感じた。
「こういうものが見たかった」と思ったまま最後まで見ることができ、その気持ちのまま家に帰れた。
自分の中では、かなり「解釈一致」の映画だった。
また、普段はハチワレやうさぎが中心になる話も多いけれど、今回はかなり明確に、ちいかわが主人公として置かれていたように思う。
物語の大事な場面では、ちいかわの視点や選択へ戻ってくる。
怖がりで、要領もあまり良くないように描かれることが多いけれど、警戒心があり、何かがおかしいと感じ取る力もある。
無邪気で警戒心の薄いちいかわ族の中では、ちいかわは少しイレギュラーな存在なのかもしれない。
ただ、映画は面白かったし、物語もきちんと終わっているのに、見終わったあと、完全に幸せな気持ちにはならなかった。
たぶん、ヒトハとフタバがかわいそうだったからだと思う。
二人はもともと、セイレーンの不注意によって傷つけられた側だった。
死にかけた友達を助けるために人魚を食べ、一人だけが不老不死になって孤独になることを避けるため、もう一人も罪を分け合った。
人魚を殺して食べたことは、確かに罪ではある。
また、セイレーンが島民を次々に襲っている間、自分たちが原因だと言い出せなかったことにも責任はある。
怖くて名乗り出られなかった結果、無関係の島民が犠牲になった。
それでも、二人が受けた罰は、あまりにも重いように感じた。
不老不死といっても、何百年も生きてその苦しみを味わったわけではない。
事故から助かり、少しの間、普通に暮らしていただけだった。
しかも、単三電池を入れなければ動けないという制限もある。
最後には島の仲間から離れ、二人だけで逃げ、社会から孤立する。
そしてすぐにセイレーンに捕まり、死ぬこともできないまま永遠に苦しむことになる。
被害者だったはずの二人が、加害者にもなり、最後には非常に重い罰を受ける。
一方で、セイレーンは不注意で命を奪いかけ、その後は犯人を見つけるために、無関係の島民を殺して食べ続けている。
しかも、味が染みたかどうかを気にするなど、食べること自体を楽しんでいる。
それでも、セイレーンが裁かれることはない。
結局、目的の相手を捕まえて満足したから、島への襲撃をやめただけだった。
だからこの話は、罪と罰が公平に釣り合う物語ではないのだと思う。
映画の中では事件が収束し、ちいかわたちはお土産をもらって島を離れる。
物語としてはハッピーエンドの空気で終わる。でも、正義が実現したわけではない。
強い側が満足したから、暴力が終わった。
それまでに殺された島民のことは戻らないし、セイレーンの罪が消えるわけでもない。
ヒトハとフタバの罪も、セイレーンの罪によって相殺されるものではない。
それぞれの罪は、それぞれの中に残ったまま、交わることなく存在し続ける。
セイレーンは、会話はできるけれど、話が通じる存在ではない。
言葉を喋り、考え、選択することはできる。
しかし、ちいかわ族の命を自分と同じ価値のものとして見ていない。
人間が家畜を見るように、弱く、食べてもよい存在として見ているのかもしれない。
だから会話はできても、命の価値についての感情は交わらない。
自然災害のように強く、避けられず、逆らえない存在でありながら、自然災害とは違って、本人には意思がある。
責任を問えるだけの知性はあるのに、責任を取らせるだけの力を、誰も持っていない。
そこが恐ろしい。
島民たちは弱く、自分たちでは戦うことができなかった。
事情を隠して、外から来たちいかわたちに助けを求めた。
だからといって、弱いこと自体が悪として描かれているわけではないと思う。
弱さは罪ではない。
ただ、弱ければ自分の意思を通せず、奪われ、食べられ、正しいことをする余裕すら失ってしまう。
弱いから嘘をつく。
弱いから名乗り出られない。
弱いから誰かに危険を押しつけてしまう。
弱さそのものが悪なのではなく、弱さによって、正しく生きることさえ難しくなる世界なのだと思う。
その中で、島二郎という存在は少し異質だった。
セイレーンと戦えるほど強いのに、ちいかわたちを食べようとも、見下そうともしない。
困っていれば助けてくれるが、自分が支配者になろうともしない。
強さを持ちながら、他者に対する節度がある。
観客がちいかわたちを見て、「助けてあげたい」と思う気持ちを、そのまま形にしたような存在にも見えた。
強い者が必ず弱い者を支配するわけではない。
力が悪なのではなく、力をどのように使うかが違う。
島二郎は、そのことを示すためにいるのかもしれない。
今回の物語では、ちいかわたちが島の問題を完全に解決したわけではない。
セイレーンを倒したわけでもなく、島に公平な秩序を作ったわけでもない。
島はこれからも、セイレーンという圧倒的に強い存在と共存していく。
セイレーンの歌によって植物が育ち、その植物で島民が料理を作り、セイレーンに返す。
互いに利益はあるけれど、対等な関係ではない。
豊かさもまた、理不尽な力から与えられている。
それでも、ちいかわたちはセイレーンと話そうとした。
殺戮をやめてほしいと伝え、相手の事情も聞こうとした。
善悪や命の価値について完全に理解し合えなくても、対話をやめなかった。
そして、ちいかわたちの物語としては、困難の中で友情を確かめ合うことができた。
世界の不公平を正すことはできない。
殺された命を取り戻すこともできない。
上位の存在を完全に打ち倒すこともできない。
それでも、目の前にいる友達を助けようとすることはできる。
相手を大切だと思うことはできる。
愛があっても罪は起きるし、愛があっても間違える。
友情があっても、理不尽はなくならない。
何も公平にはならない世界の中で、それでも隣にいる命を大切だと感じる。
その気持ちだけは、理不尽な世界に奪わせない。
青と緑に満ちた美しい箱庭の中に、捕食も、支配も、罪も、孤独もある。
ただそこにあるものとして、受け入れるしかないもの。
それも含めて社会であり、豊かささえも、理不尽なものから与えられる。
自分たちの幸福も、理不尽から来る。
理不尽な箱庭。
でも、その中で生きる命の輝きは、きっと同じ価値を持っている。
箱庭の中で。
不自由の中で。
それでも、大切なものを大切だと感じること。
大切だと信じること。
それが、この映画のテーマだったのだろうか。
じゃあ、愛なのか。
愛か。
愛がずっとあるのか。
今回の映画には。
ちいかわは、愛の映画だった。
ギターはチューニングが合えば良い。
良いなと思ったギターの値段を調べたら、250万円くらいでした。
元気が出ない。
ブランド価値とかを上乗せしたものとして、納得できるなら良いのかも知れないね。
怖くてスタジオとかライブに持っていけない。
ちょっと俺は買えないな。
車よりは安いという考え方も分かるけれどね。
と言いつつも、ヴィンテージは1本くらい欲しい…。
あの世には持っていけないのに。
何一つ。
小説の「俺はレッドダイアモンド」の主人公程ではないけど、面白い作品に触れると多少は影響されるものです。
ふとした時の一言とか、判断とか。
そんな俺がちいかわを熱心に観ると、どうなるか。
自認ちいかわのオッサンとか危険が危ない。
心を強く持たないと。
ペイペイの音量調節ができるのを知った。
知らなかった。
できたのかよ。
これで、店中にペイペイッ!って響かせなくて済むのか。
スクラッチチャーンス!も結構高音で通るんだよな。
発動時間も長いし。
人生が快適になるから助かる…。
てか、終わったあと乱闘あったのかよ…。
残念だな…。
ワールドカップの決勝を観るために少し早起き。後半の途中から観た。
アルゼンチン対スペイン。
どっちも強い。
俺は完全ににわか目線ではあるが、日本代表を応援した流れで決勝が気になっていた。
俺が見た時には、アルゼンチンのシュートが0という、なかなか衝撃的な内容になっていた。
前日の3位決定戦がバカスカ点が入っていたから、今日も打ち合いなのかなって思っていた自分もいた。
蓋を空けてみれば、1点をどちらが先に取るかという真剣勝負のような、ブシドーブレードみたいな展開に。
しかし後半のアディショナルタイム、レッドカードでアルゼンチン1人退場。
このスペイン相手に、今日のブシドーブレード展開で、10人ではなかなかハードモード。
でもアルゼンチンのキーパーがかなりノリノリで、スペインに何度もシュートを打たれるけど耐えていた。
結果的には失点してしまったけれど、その時の相手のシュートも早くて鋭い素晴らしいプレーだったし、もう誰が悪いとか誰を責めるっていう内容ではないように、個人的に思えた。
言ってしまえば、退場したアルゼンチンの選手だって必死だったしね。
みんな出し尽くしたんだろうなっていう、見てる側にも伝わるものがあった気がしたよ。
個人的にはメッシの物語が優勝で終わったら面白いなとか、4年前みたいにエミリアーノ・マルティネスが大統領の前で尖ったユーモアを見せてくれるんじゃないかという期待?をしていたりしたんだけれど、スペインらしいサッカーを最後まで貫いて誰にも文句のつけようがない勝ち方をしたというのは本当に素晴らしいと思う。
またサッカーの歴史が少し動いたような。
サッカーって言っちゃいけないんだっけ?
フットボールって言うんだっけ?
その辺はよくわかんないけどなんか、新しい時代の扉が開いたような、そんな清々しさを感じるね。
メッシがボールを持つとやはり質の高いボールを中に入れるので、最後までどうなるか分からない緊張感は楽しかった。
コーナーキックのアイデアも凄かった。
アゴに入ったら分からんパンチが最後まで出ていた気がする。
次のワールドカップは4年後かあ。
4年後は4歳年を取るんだよな。
などと。
俺もお達者でいたいものだ。
x.comDAZN Japan (@DAZN_JPN) on Xついにこじ開けた フェラン トーレスが値千金の先制弾 スペインが優勝へ大きな先制ゴール 🏆FIFAワールドカップ 決勝 🆚スペインxアルゼンチン DAZN 無料ライブ配信中 コークでブラボー ドリンクチケットが2026名様にその場で当たる🎯 フォロー&この投稿をリポストで今すぐ参加
眠れないと思い込むタイプの夢を見てしまい、休めていない気持ちになっている。
この連休中は夏祭りがあるらしく、楽しそうな親子や友人同士のような姿を見掛けた。
俺は一人で祭りに参加できるようなメンタリティではないので、人里の灯りを見て気を引かれるけど行かない化け物のような。
車のなかで1人ぼーっと考える、人生とは、という問いほど味のしないものはないな。
寝損ねて元気が無かったけど、10代の頃好きだった曲を聞いたら少し元気が出た気がする。